ソブリンAIを「国産基盤モデル」の議論だけで終わらせてはならない
「ソブリンAI」という言葉は、主として基盤モデルや計算資源を外国企業に依存した場合、有事や経済制裁、サービス停止などによってAIを利用できなくなるリスクへの対応として語られている。しかし、AIにおける主権問題はそれだけではない。より本質的なのは、誰が記憶を持ち、誰が世界を解釈し、誰が目的を決め、誰が最終的に意思決定するのかという問題である。
日本はすでにコンピューティングの主権を失ってきた
日本はすでにコンピューティングの分野で、これに似た経験をしている。1980年代にはNEC PC-9800シリーズなど、日本独自のパソコンとその上で動く国内ソフトウェア産業が存在していた。1990年代になるとPC/AT互換機、DOS/V、Microsoft Windowsが急速に普及し、日本市場も世界標準へ統合された。一太郎など生き残った製品もあるため、国内ソフトウェア産業が消滅したとまで言うのは正確ではないが、OSやオフィスソフトなど基盤部分で海外企業への依存が大きく高まり、国内独自のパッケージソフト市場は縮小した。
インターネット商用化以降、この傾向はさらに強まった。Google、Amazon、Microsoftなどの巨大プラットフォーム企業が検索、電子商取引、クラウド、業務ソフトなどの基盤を握り、企業活動そのものが外部プラットフォームの仕様、価格、利用規約、技術ロードマップに依存するようになった。個々の企業にとっては合理的な選択であっても、それを社会全体で長期間積み重ねれば、自前では代替できない構造が生まれる。
主権は合理的な依存の積み重ねでも失われる
この状況は、近世以降のアジア諸国が西欧との交易や植民地支配の中で外部市場に適応し、自律的な産業構造を失っていった歴史と同一ではない。しかし、外部の巨大な経済圏に合わせて最適化していく過程で、自ら選択できる範囲が狭くなるという点では、想起させるものがある。主権は、必ずしも武力によって奪われるとは限らない。合理的な依存を積み重ねた結果として失われることもある。
一方、中国の歩みは対照的である。19世紀以降、中国は列強から大きな圧力を受け、日本もまた中国への侵略を行った側であった。しかし改革開放以降、中国は海外の技術、制度、経営手法を徹底的に学び、それを国内産業の能力へ転換してきた。その過程では、日本の高度成長や産業政策も重要な研究対象となった。もちろん中国の発展を「日本をまねた結果」と説明することはできないが、外国から学びながら自国の工業力と技術力を蓄積するという点では、かつての日本と共通する部分がある。今日では中国企業が独自のEV、通信機器、半導体、ロボット、AIモデルまで開発するようになり、かつて日本が占めていた「アジアの模範となる工業国」という位置は、大きく中国へ移った。
東南アジア諸国も植民地支配から独立し、長期的には大きな経済発展を遂げてきた。第二次世界大戦中の日本の進出が欧米植民地支配を崩したことが戦後独立に一定の影響を与えたことは否定できないが、日本の占領そのものを単純に「アジア解放」と評価することもできない。現在、多くの東南アジア諸国では製造業が発展しているものの、外国企業の資本、技術、ブランド、サプライチェーンへの依存もなお大きい。今後、独自技術や知的財産、ブランドをどこまで蓄積できるかが次の課題となる。
アジアの先進経済としては、日本、韓国、台湾に加え、シンガポールなども重要な位置を占める。製造業と技術産業という観点では、日本、韓国、台湾の存在感が特に大きい。かつて日本はアジアの工業国として圧倒的な位置にあったが、現在ではこのグループの一員となった。依然として資本蓄積や素材、部品、製造装置、精密技術などに強みはあるが、世界の技術秩序を単独で主導する立場ではない。だからこそ、日本単独の自給自足を目指すのではなく、韓国、台湾、東南アジアなどと、それぞれの主権を維持したまま補完関係を築く発想が必要になる。
AIエージェントの登場で主権問題は一段深くなる
ここでAIの話に戻る。AIは現在、質問に答えるチャットの段階から、実際に作業を行うエージェントの段階へ移りつつある。ファイルを書き換え、メールを送り、プログラムを変更し、外部システムを操作するようになれば、「AIが何を知っているか」以上に「AIに何をさせるのか」が重要になる。
現在のAIは主として自然言語によって指示される。しかし、人間同士でさえ言葉の行き違いは頻繁に起きる。AIコーディングでも、AIが指示の意図や全体の文脈を取り違え、既存の成果物まで壊してしまうことがある。自然言語は便利なインターフェースだが、それだけで人間や組織の意図を完全に伝えることはできない。
そこで必要になるのが、ユーザーや組織ごとの「記憶」と「現在の文脈」を結びつける技術である。ここでいう記憶とは、単にデータを保存しておくことではない。人間の記憶では、出来事とその評価が結びついている。「この方法で以前失敗した」「この顧客は価格より納期を重視した」「これは当社の理念には合わない」といった価値判断まで含めて想起される。このような連想記憶をAIが利用できれば、現在の問題と過去の経験を結びつけ、アナロジーによる創造的な思考にも利用できる可能性がある。
さらに重要なのが「意志」である。人間の精神活動はしばしば「知・情・意」、すなわち知性、感情、意志として整理される。従来のコンピューティングは主として知的・合理的な情報処理を扱ってきた。LLMは言語能力を飛躍的に高め、感情の理解や表現もある程度可能になった。しかし「何を目的とするか」を決める意志は、人間の領域として残さなければならない。
企業にとって意志に相当するものが理念や戦略である。理念や戦略は、客観的データを合理的に分析すれば自動的に唯一の正解が得られるものではない。同じ状況でも、成長を優先する企業もあれば、品質や長期的信頼を優先する企業もある。そこには「何を価値とするか」という選択がある。AIは戦略形成を支援できるが、「われわれは何を目指すのか」を決める主体は人間でなければならない。
同時に、意志は共有されなければ機能しない。企業では理念や戦略によって人間同士が意志を共有してきた。AIが組織の一員のように働くなら、AIともこの意志を共有する仕組みが必要になる。
その有力な方法の一つとして、マインドウエア総研では「概念構造モデル」に注目している。個々の命令文を並べるのではなく、何を重要と考えるのか、どの概念が近いのか、何と何が対立するのか、どの価値を優先するのかを構造として表現する。イメージとしてはKJ法に近いが、その構造をAIが参照できる形にする。
主権とは「全部自分で作ること」ではない
この観点から見ると、ソブリンAIには少なくとも五つの層がある。第一はインフラとモデルの主権、第二はデータの主権、第三は業務の主権、第四は記憶の主権、第五は意志の主権である。現在のソブリンAI論は主として最初の二つを扱っているが、AIがエージェント化するほど、後ろの三つが重要になる。
日本が米国や中国と同じように巨大基盤モデルの規模だけを競う必要はない。基盤モデルの開発能力を国内に持つことは重要だが、それだけが戦略ではない。世界の優れた基盤モデルを利用しながら、それを個人や組織固有の記憶、文脈、価値観、意志と結びつける技術に注力する道もある。
これは外国製AIを排除するという話ではない。むしろ、その時点で最も優れた基盤モデルを交換可能な知的エンジンとして利用しながら、企業の記憶、世界観、価値基準、最終的な意思決定権は自分たちで保持するという考え方である。
主権とは、すべてを自分で作ることではない。外部の技術を利用しながらも、依存先を変更でき、自分の記憶と価値観を失わず、最後の決定権を手放さないことである。
AI時代に日本が守るべきものは、単なる「国産基盤モデル」ではない。記憶し、意味づけし、目的を決める能力そのものを自ら保持すること。それこそが、マインドウエア総研の考えるソブリンAIである。
